鹿野城址2019/09/02

 明くる日は青谷上地遺跡を見てから帰ろうととしたが、月曜日は休館日では入れず、このまま帰るのも癪なので、鹿野城址に行ってみる事にしました。


 尼子の旧臣、亀井茲矩が初代鹿野藩主の城である。二ノ丸を囲む堀が残っていることにびっくり。


 米子城は堀が無くなってしまっているが、堀が在るるのと無いのとでは趣が違います。


 二ノ丸は石垣に囲まれているが、本丸はほぼ土塁である。これは西日本の城では珍しいのではないだろうか。


 城の西側に立派な寺がありました。解脱山光輪寺とあったので、日蓮宗のお寺かと思ったら、浄土真宗本願寺派のお寺でした。


 本堂に居た人に訊いてみると最近立て直したそうです。


 頼んで本堂に上がらしてもらいました。総欅造りの柱と梁にビックリです。


 お昼は浜村の中古車販売店で。何とここがミシュランガイドのビブグルマンに掲載されたラーメン屋。店の前の駐車場には県外ナンバーがずらり。


 丁度一席開いてたので並ばずに座れました。頼んだのは、その推奨の一品、極み塩鶏ラーメン卵入り。


 ラーメンは何時もスープを半分以上残すのですが、今度ばかりは完食させて頂きました。

とっとり考古学フォーラム2019/09/01

 鳥取県埋蔵文化財センターが今年度のとっとり考古学フォーラムで「戦国時代の転換点 3つの籠城戦を読み解く」として、安芸郡山城と出雲月山富田城と因幡鳥取城の事例研究を発表するとあって、鳥取まで車を飛ばしました。
 城ブームとあって、用意された450席はほぼ埋まり、県内だけではなく、東京や千葉からの参加者あったそうです。
 講演の中で、航空レーザ測量を活用した赤色立体地図による城跡調査が山城の発見を容易にするとの発表は測量士の一人として興味が持たれた。

とっとり考古学フォーラム

 合戦の話なのでその前に鳥取の渡辺美術館に行き、武具のコレクションを見る事にしました。


 展示の方法は今一つですが、数に圧倒されます。個人でこれだけの収集するとは、凄いの一言です。


 せっかく、鳥取に来たのだから、お昼はうどんにしました。選んだのはです。「ミシュランガイド京都・大坂+鳥取 2019」でミシュランプレートに掲載された「久松うどん はなしょう」


 頼んだのは、おろしぶっかけうどんの大盛り。うどん屋さんでうどんを食べるのは久し振りですが、流石に美味い。


 せっかく、鳥取に来たのですからホテルをとって、高校の時の同級生を呼び出し、旧交を温めました。

桜と城と大山と2019/04/05

 今年は暖冬だからか、それとも暖冬なのにかは解りませんが、満開になるのが去年より一週間遅いです。今年も先ず米子城で花見です。


 毎年、同じ場所で同じ様にカメラを向けてますが、写った写真は毎年何処となく異なるのはなぜでしょう。


 桜の木の成長が送させるのか


 それとも大山の雪の残り具合が年によって異なるからか


 天守台から中海を見るこの構図も毎年同じです。


 去年と異なるのはカメラを替えたから、余計、そう思うのかもしれません。


 遠見櫓址から天守台の石垣と大山を入れて桜を写すのも何時ものパターンです。


 番所址の桜はかなり老木となっていますので、何時までこの景色が見られるか分かりません。

桜と城と大山と

羽衣石山城跡2019/03/18

 戦国時代の山城の跡であり、中国地方の山百選に選ばれている羽衣石山に登る事にしました。

羽衣石山城跡

 山頂の標高は376mですが、標高200m付近に駐車場が整備されてます。


 昔は整備された石段だったでしょうが、長年の風雪で崩れ苔むした石がごろごろとした登山道を登って行きます。


 それを過ぎると石垣の様な自然石の岩壁が現れます。如何にも戦国時代の山城と思わせます。


 山頂部は三段の平地となっており山城の本丸の跡だと分かります。


 見晴しの良い場所に模造の天守が設けられてます。南条氏の子孫が自費で建てられたと聞いてます。


 天守の立って居る付近からの景色は抜群です。西に雪を頂いた大山。


 北に東郷池。東と南には近くに山があり展望は利きません。東の山がここより少し高いのが気になります。


 山頂から少し下った所に天女が水浴のため羽衣を掛けたと言われる羽衣石があります。この石も城壁を思わせます。


 折角大山が綺麗に見える時にここまで来たので、帰りに大山をバックに私の設計した橋を撮る事にしました。


 倉吉の西の出口に掛かる橋長146mの出口橋です。

米子城跡発掘調査現地説明会2018/04/21

 昨年度発掘調査が行われた米子城の竪堀の現地説明会に参加しました。

米子城跡発掘調査現地説明会

 二ノ丸入口の桝形跡に集合して市の課長さんの概要説明を聴いた後、竪堀に向かいます。


 竪堀は普段、立入禁止ですが、今日は歩けるように安全策が施してありました。先ず、竪堀の最下部で担当者より詳細説明を受けました。上部に見える土嚢は試掘(トレンチ)した所を保護するためです。


 試掘(トレンチ)ヶ所の内部。竪堀の右側は切土による崖、左側は掘った土を盛って堀を深くしていることが分かったそうです。


 竪堀の右側は6mの切土の人工的な崖で梯子でも架けない限り登れそうもありません。竪堀をそのまま登って行くと正面に本丸の石垣が行く手を塞ぎます。


 竪堀の上部で見付かった端瓦。文様が吉川氏の造った城によく見られるものだそうです。


 最後に一昨年度発掘された登り石垣の説明を受けました。


 竪堀にしろ、登り石垣にしろ江戸時代に造られた城には珍しい防御施設で、戦国時代の築城技術が残る貴重な城跡といえるそうです。
http://www.nnn.co.jp/news/180422/20180422035.html