欅句会 2016.112016/11/01

 今月の欅句会は大山寺で吟行です。大山寺周辺は何時も訪れていると所なので、一人離れて阿弥陀堂へと向かいました。途中に小学校から高校まで学校で行く大山登山の際、必ず前泊した蓮浄院が全く姿を消して荒れ野になっていました。

       枯野かな 直哉の書きし 坊の跡


 上五をかなで終わらせるのは禁手かも知れませんが、余りにもの姿に敢えて使ってしまいました。やはり、先生には採って頂けませんでしたが、3人の方に採って頂きました。
 
 その後、阿弥陀堂から金門、大山寺へと散策し4句作成。その内2句を投句したのですが、何れも採って頂けず。


 昼食は大山館の大山おこわ定食 1,500円。大山蕎麦が付いてます。大山館の大山蕎麦を食べるのは何十年ぶりだろう?

       吟行の 歩み止めたる 走り蕎麦

大山おこわと大山そば

 先生の他二人の方に採って頂きました。

 先月の米子市俳句大会に参加した時、そこに居た三人で来月の句会には三人の兼題として恋の句を出そうと約束したのを思い出し、吟行句では無いですが老木の燃える様な紅葉を思い出し

       老いらくの 燃ゆる思いや 濃紅葉


 結局、後の二人は約束を忘れてて馬鹿を見たのは私一人。それでも一人の方に採って頂きました。

 私が選句したのは
  TAAさんの散紅葉と薄黄葉。何れも絵画か写真にすると良い構図となる様な句でした。
  NKMさんの落葉とNYNさんの木の実は今日の吟行に参加したものでないと詠めない句。
  YSTさんとSNIさんの落葉は同じ景色を詠んだものと思われるが、私は落葉溜りとしたYSTさんの方に軍配を挙げました。
  YDSさんの紅葉は奥宮の紅葉の石畳を9文字で詠んだもので、字数の少ない私好みの句。
  SENさんの紅葉は落葉を書き間違えたと後で言われたが、それが功を奏して本日の特選五句の一句。流石駆け込みのSENの一句。

 序に、今朝の日本海俳壇に下記の句が一席で入選しました。

     椋誠一朗選     金色の 稲の海原 姪嫁ぐ


 選評にはこうありました。
 季題は「稲」。稲の海原と言えば、「秋の田」のどこまでも続く稲穂の黄金色が思い浮かぶ。農村に嫁いでゆく姪を詠んだのだろう。「稲筵」などとしないで、金色を上五に置いたことで婚礼の華やかさ、きらびやかな花嫁衣装までが連想される。また、海原に人生の船出を暗示させてもいるようだ。

紅葉の大山 20162016/11/07

 待ちに待った平日の晴天。カメラを持って大山環状道路をドライブです。先ずは奥大山スキー場から。


 2週間前はまだ青かった橅林も一気に紅葉が進んだ様です。


 奥大山スキー場から鍵掛峠までの大山環状道路も今が見頃です。


 木谷の橅の樹海も良い色に染まっています。


 鍵掛峠から見た大山の南壁。今回は紅葉主体で少し広角で撮ってみました。

紅葉の大山

 ニノ沢付近の大山環状道路。鍵掛峠の東側も西側もほぼ同時に色づくのは珍しいのでは。


 赤黄緑と極彩色のブナ林が道路の両側に広がっています。


 一ノ沢の紅葉。ここは駐車スペースが余りなく、中々止めて写真を撮るのが難しいですが、運よく空いていてラッキー。


 川床橋から見た阿弥陀川の渓谷。深山の趣がありますが、ほとんど逆光となり中々よい写真が撮れません。


中国百名山 金ヶ谷山2016/11/12

 三日前に大山山頂付近に積雪があったので、大山を望める山に出かけました。選んだのは金ヶ谷山。前回は春に登ったのですが、春霞か黄砂の影響かで良い写真が撮れなかったので再挑戦です。前回は国体コース登山口から登りましたが、900段以上の木段の急登に閉口したので、距離は長くなりますが、穴ヶ乢入口から。09:25 登山開始。


 暫くは薄暗い杉林の中を歩きますが、穴ヶ乢より尾根道となり、その内広葉樹に覆われた気持ちの良い尾根歩きとなりました。


 10:30 朝鍋鷲ヶ山(1,074m)山頂に到着。何処が頂上か判らない程、広々とした頂上で周囲は樹木に覆われ展望は鉄塔の展望台で望むしかありません。


 鉄塔の上から北側を見ると大山。右下の草に覆われた山は中国百名山の三平山。


 南側には目指す金ヶ谷山。その先に中国百名山の毛無山が望めます。


 金ヶ谷山への縦走路は道幅も広く急な登りは少なく、ルンルン気分で歩けます。


 11:15 金ヶ谷山々頂(1,1164.2m)に到着。毛無山への縦走路の中の一つのピークといった感じの頂上です。


 展望は南側に一部開けているだけで、良いとは言えません。遠くに見える山は星山か雄山か?


 大山は少し戻って藪の中に分け入り、ようやく撮りました。ほぼ真南から見た大山です。

金ヶ谷山より見た大山

 金ヶ谷山付近には弁当を食べる適当な所がなく、朝鍋鷲ヶ山まで引き返しです。後は時系列でお容赦を。

 11:55 朝鍋鷲ヶ山々頂到着
 12:25 朝鍋鷲ヶ山々頂出発
 13:15 穴ヶ乢入口に無事下山

突然の別れ2016/11/16

 日曜の朝5時頃、着信音に目を覚まされた。ほっておこうと思ったが、何か気になって発信者を見た。姉の所に嫁いだお嫁さんからだ。まさかと思いながら電話に出ると、泣き声で「お母さんが息していないと施設から電話があり、行って見ると医者が来ていて只今、死亡を確認しましたと言われました」と
 姉は3月に検査入院していたが、4月に老人保健施設に移ってからは、すっかり元気になり、そろそろ外食にでも誘ってみようと思っていた矢先であった。それから三日、通夜・葬儀とあわただしく時間が過ぎ去りました。落ち着いたとこで姉の思い出を語ってみたいと思います。

 姉と私は12歳半離れているため、一緒に暮らしたのは私が小学校一年生の時までで、普通の姉弟と比べれば真に短い間でしたが、強烈な個性故忘れられない思い出が多々です。
 姉は高校の時、登下校は何時も手ぶらでした。朝、姉が家を出る前に男の子が自転車で我が家に立ち寄り、姉のカバン等を自転車に積んで先に登校し、下校時も姉が帰る前に男の子がカバン等を届けにやって来ました。母が姉に聞いたところ、その子が闇市の親分の子供に虐めにあっていると聞き、弱い者いじめをするなと一人で話しに行ったらいじめられなくなり、それ以降卒業するまで、自らカバン持ちを宣言し実行したという。
 勉強はほとんどしなかったが成績は良かった。その訳を聞くとクラスで一番の人の隣に座り、その人が適当に間違えた書いた答案を書いて貰って後は名前を書くだけだったという。その人は文武両道で野球部のエースで甲子園にも出場し、一橋大学に現役で入学したそうです。姉はその時、新制高校になって初めての応援団長となり、予選の時の応援の指揮をしましたが、戦後間もない時で、女性である故、甲子園に応援に行く事は許されなかった様です。
 姉は高校卒業後、目黒のドレスメーカ女学院に進学しました。私は小学校の時、母が同級生のお母さん方より歳を取っていたため、母が父兄参観日にくるのが、嫌でたまらなかった。それを聞いた姉は帰省した時、じゃあ私が代わりに行ってあげると言い、代わりに来てくれましたが、最先端のファッションで現れるものですから、独身の先生は舞上がってしまうは、女の子は全員後ろを向いて先生の方を見ないはで、授業は滅茶苦茶。以後、姉は出入り禁止となってしまいました。
 ドレスメーカ女学院では創始者ある杉野芳子さんに可愛がられ、卒業後も結婚するまでドレスメーカ女学院が発行するファッション誌のモデルしてたほどで、,お洒落には人一倍気を使って、死ぬ10日前には美容院に行き、ネイルアートまでしていました。私も色んな仏様を見て来ましたが、ネイルアートした仏様を拝んだのは初めてです。兎に角、目立つ人で、私の息子が東京で待ち合わせをした時、10年以上合っていないから判るかなと心配してたら、100メートル手前から判ったと息子は後で言ってました。今風に言えば美魔女のはしりだったかもしれません。
 晩年は社交ダンスをしてたので、銀杏落葉と踊りながら旅立って行った様な気がします。


晩秋の蒜山高原 20162016/11/18

 今年最後の行楽は恒例の蒜山高原。


 平年より一週間近く早いですが、週間天気予報を見る限り晴天は今日のみ。

晩秋の蒜山高原

 お蔭で最後の紅葉狩りを楽しめました。


 国民休暇村のメタセコイアも良い色に紅葉しています。


 白樺の枯れ木とコナラ等の紅葉の競演。これで大山が冠雪していればと思うのが欲張りすぎでしょうね。