鞆の浦2015/10/13

 伯耆文化研究会の巡検の「鞆の浦の歴史を訪ねて」に参加した。会員では無かったが、バスの席に余裕があるので会員以外でも良いという。然もバスは市役所のマイクロバスを使うため参加料は昼食代、拝観料等を含めたったの2千円。

鞆の浦

 最初に訪れたのが福禅寺対潮楼。江戸時代朝鮮通信使の宿舎と使われた所だ。


 通信使がこの客殿から見る景色が日本で一番良かったと「日東第一景勝」の書を書いたと説明があった。


 鞆の浦のシンボル常夜灯。常夜灯というより灯台そのものです。


 幕末の志士坂本龍馬の海援隊の蒸気船いろは丸が鞆の浦の沖合で沈没したことから、龍馬の足跡が随所にありました。


 鞆の浦の町並み。江戸時代の繁栄が窺い知れます


 お寺の建ち並ぶ一角に山中鹿介の頸塚がありました。何故こんなところにと思ったら、前将軍足利義昭がここに滞在していて、毛利輝元とここで首実検を行ったそうです。


 町の一角に広大な敷地を持つ神社がありました。国幣小社沼名前(ヌマクマ)神社、地元では祇園さんと呼ばれてます。


 秀吉ゆかりの能舞台があるというので立ち寄ってみました。風雨を避ける板塀で覆われ中を見る事は出来ませんでしたが、伏見城にあったものを移設したものだと書かれてました。