考古学教室韓国旅行Ⅳ2010/09/13

 雪嶽山を観られる最後の機会と思い、朝窓ののカーテンを開けると、朝焼けの雪嶽山が現れました。
 1,708mの主峰は確認出来ませんでしたが、1時間後にはこの姿も霧に隠れてしまいました。

朝焼けの雪嶽山

 昨夜、泊まった雪嶽山観光ホテルです。赤い看板は昨夜の2次会の喫茶店。
 出発前に自慢の珈琲を皆に振舞って、見送ってくれました。

雪嶽山観光ホテル

 ホテルの前のレストランでの朝食。
 御飯とスープ以外は4人で箸を突っ突き頂きます。

ホテルの朝食

 雪嶽山の寒渓嶺 917mの峠での眺めです。ここでも、ついに、主峰の大青峰(1,708m)は見ることが出来ませんでした。
 また、来いよという事か。

寒渓嶺からの展望

 約半日掛けて、朝鮮半島を横断したのですが、国道も良く整備されていて、快適な移動でした。

 昼食はソウル近郊の議政府で牛骨スープの昼食。

牛骨スープ

 午後から、ソウル北側の軍事境界線の近くににある遺跡巡りです。

 揚州(ヤンジュ)市の檜巌寺跡は発掘が終わり、これから整備される遺跡です。
 儒教の国、高麗では珍しく国家が建設に関与したとあって、広大な寺跡で圧倒されました。

楊州 檜巌寺跡


 更に北へ上り、軍事境界線接している漣州(ヨンチョン)郡に入ると、軍の基地や装甲車のパトロールや道路の対戦車防御施設が目立ちます。

 全谷里(チョンゴンリ)遺跡国史跡は20年前遊びに来た米軍兵士が偶然石器を拾い、ソウル大学の金元龍教授に見せたことから発掘された遺跡です。
 子供達が遺跡に親しめる様、旧石器人達が等身大で復元されています。写真は旧石器人像の前でおどける佐古先生。

漣州 全谷里遺跡

 金元龍先生の碑の前で金武重先生が思い出をしみじみと語ってくれました。
 左端は柳本照男先生。

三佛金元龍先生記念碑

 臨津江(イムジン川)沿いの鶴谷里(ハンゴンリ)積石塚では大阪府立狭山池博物館館長の工楽先生ほか1名が加わり、

漣州 鶴谷里 積石塚

 金先生の説明を受けました。


 臨津江の上流は北朝鮮で、洪水のため北朝鮮の木製地雷が流失している恐れがあるため、河岸には 近付けないそうです。

臨津江

 臨津江と支流の合流部には地形を利用して築かれた、高句麗の百済侵略の砦の遺跡があります。
 瓠蘆(ホロ)古塁城跡は三角形の二辺は河川侵食による断崖で天然の城壁。

高句麗の砦

 残る一辺は石積みの城壁。4世紀侵攻した倭国の兵はこの様な城壁を攻め登ったのだろうか。
 なお、帰国してgooglの航空写真で場所を調べたら、軍事境界線より、わずか4kmの地点でした。

高句麗の砦の城壁

 ここで、金先生は工楽先生等を他の遺跡に案内するため、お別れ。

 ここからは柳本先生が現代史の案内。
 臨津閣(イムジンガク)は一般市民が北朝鮮に最も近付ける地で、離散家族が北朝鮮にいる家族を思って訪れる場所です。
 遠くに見える橋が自由の橋です。

臨津江に架かる自由の橋

 夕食はソウルに向かう途中で、豚肉の鉄板焼。肉の油を流すため、鉄板を傾けてコンロで焼き、肉と御飯を野菜に包んでいただきました。
 宿泊はソウルを素通りして、金浦(キンポ)のホテル。